長時間の労働が問題になっている教員の働き方について、12月6日、残業時間は1か月に45時間までという方針が出されました。
2016年の調査では、小学校の教員の82パーセント、中学校の教員の89パーセントが1か月に45時間以上残業をしています。授業以外にどんな仕事があるのでしょうか。日本では、授業の準備やテストの採点、進路の相談だけでなく、給食や掃除、部活動の指導も教員がやっています。土曜日や日曜日、そして8月の夏休み中も研修や部活動などがあってなかなか休めません。45時間以内にするためには、教員の仕事を減らさなければならないでしょう。
そこで、国は、休み時間や掃除の時間は地域の人にみてもらうこと、教員以外の人に部活動の指導をしてもらうこと、朝早くに子どもが学校へ来ることを禁止して、教員の出勤時間を遅くすることなどの方法を提案しています。(ア)、実現のための制度はこれから整えていくことになります。45時間までという方針はできましたが、タイムカードだけが45時間以内に抑えられ、(イ)の労働時間は減らないということのないように、具体的な話し合いが必要です。
【小题1】教師の授業以外の仕事として文中で挙げられていないのはどれか。A.進路相談 | B.家庭訪問 | C.テストの採点 | D.部活動の指導 |
A.掃除の時間を高学年の先輩に見てもらうこと |
B.学生が週末に学校に来るのを禁止すること |
C.教員の週末の出勤時間を遅くすること |
D.部活動の指導を教員以外の人に頼むこと |
A.すると | B.しかし | C.それに | D.だから |
A.平日 | B.週末 | C.実際 | D.過去 |
A.小学校の教員の89パーセントが1か月に45時間以上残業をしている |
B.教員は土曜日や日曜日に給食や掃除の指導をしている |
C.教員は夏休み中に研修や部活動の指導があるため休めない |
D.残業は45時間までという方針はすでに実現されている |
人の能力は多様です。研究の仕事に適性をもっている人もいれば、動物の世話をしている時が何より充実しているという人もいます。そういう自分の関心や能力に見合った領域の仕事をすることは、確かに人の幸福の大きな部分を占めています。
しかし、最初から自分に合った仕事に就けるとは限らないし、それがすぐに見つかるとも限らないです。自分に合った仕事や好きな仕事を見つけるのは時間がかかることであり、だから、そうした仕事を欲しがっている人はそれに出会うまでは多少の回り道を覚悟すべきだと思います。
夢についても同じてす。最近では、中学校や小学校のころから、将来の夢を持ちなさいと言われるそうです。人生のずいぶん早い時期から、将来の設計図を描け、たしかな自分をもてと迫られるわけです。
(ア)、夢というのは荷物じゃないのだから、「持て」といわれて、持てるものでもありません。夢や目標などは時期がくれば自然に抱くようになるものなのです。
私が自分の娘から唯一、感謝されているのは、いつか彼女に対していった「夢なんか敢えて持つ必要はない」という言葉です。娘は学校の先生から「夢を持ちなさい」と言われて、「夢を持たなければならない」と強迫観念を抱いていたが、父親のその言葉で気が楽になったといいます。
ゆっくり育てた果実は大きいといいますから、夢も仕事も、じっくり探して育てていけばいいのです。 回り道や道草が栄養になるのは、自分自身の経験からもいえます。
【小题1】文中の(ア)に入れるのに最も適当なものはどれか。A.しかし | B.つまり | C.それに | D.あるいは |
A.自分に合った仕事や好きな仕事はすぐに見つからない場合がある。 |
B.自分に合った仕事や好きな仕事が見つかるかどうかは能力次第だ。 |
C.仕事をすることは人の幸福の大きな部分を占めている。 |
D.動物の世話をしている仕事が何より充実している。 |
A.夢なんか敢えて持つ必要はない。 | B.夢を持たなければならない。 |
C.夢を持ちなさい。 | D.気が楽になった。 |
A.筆者には娘が一人しかいない。 |
B.夢は自然に持つようになるものだと考えている。 |
C.夢は大人になると自然に変わるものだと考えている。 |
D.中学校や小学校のころから、将来の夢を持つのは必要だ。 |
A.子供は夢を持たなければならない。 |
B.夢と仕事はひとつあればいい。 |
C.自分に合ったやりたいことを探すには、遠回りをしてもいい。 |
D.将来の可能性を広げるには、あまり大きな夢を持たないほうがいい。 |
「障害は不便ですが、不幸ではありません。」
これは、見ることも、話すことも、聞くこともできない三重苦を乗り越えて生きたへレン・ケラーの言葉である。
(ア)、あなたが何かの事故で、身体の一部を失ってしまうという事態に陥ったら、どうするだろう。ほとんどの場合、悲嘆に暮れてしまうはずだ。
このヘレン・ケラーの言葉は、そんなハンディキャップ(身体残疾)を一つの身体的特徴と見なす(看作)考えから生まれたもの。これは本当にいい言葉だ。
ハンディキャップを恨んだり、僻んだりしないで、(イ)。おそらく、こう言えるのは、ハンディキャップを受け入れられ、自分が愛されたという経験が、前提として大きくあるからだろう。だからこそ、こうした前向きの言葉が生まれたのだ。
この言葉は大いに、私たち健常者を鼓舞してくれる。この言葉を前にしたら、健常者である私たちの苦しみなど、実にちっぽけ(不足挂齿)に思えてくる。
【小题1】へレン・ケラーはどうして「障害は不便ですが、不幸ではありません」という言葉が言えるのか。A.ハンディキャップを恨んだり、僻んだりしたから |
B.ハンディキャップを一つの身体的特徴と見なしたから |
C.三重苦を乗り越えなかったから |
D.悲嘆に暮れてしまったから |
A.もし | B.そして | C.では | D.確かに |
A.実に前向きに生きている。 | B.悲嘆に暮れてしまう。 |
C.生活に消極的である。 | D.孤独感に陥る。 |
A.見ることも、話すことも、聞くこともできない。 |
B.健常者である私たちの苦しみなど、実にちっぽけに思えてくる。 |
C.私たち健常者を鼓舞してくれる。 |
D.障害は不便ですが、不幸ではありません。 |
A.へレン・ケラーの言葉は私たち健常者から見て実にちっぽけに思えてくる。 |
B.へレン・ケラーの言葉は私たち健常者を大いに鼓舞してくれる。 |
C.へレン・ケラーはハンディキャップを受け入れて、前向きに生きていた。 |
D.へレン・ケラーは話すことも、聞くことも、見ることもできない。 |
言葉というのは時とともに変化するというのも事実だ。変化するからこそ、もとの形を残したい、残さないのは日本語の乱れだと考える一方、場合によっては、その言い方はもう古いというような感想になることもある。言葉は生きているのだ。
高校生の作文コンクール(竞赛)の審査員をしていた時のこと、ある都市の課題で、「百聞と一見」というのがあった。「百聞は一見に如かず」という諺を踏まえて(根据)、そのどっちがいいのか、という課題だ。
ところが、そのテーマに対して、高校生の多くが、視覚情報と聴覚情報はどっちが確かか、という論考をするので驚いてしまった。テレビより、ラジオのほうが真実が伝わったりする、なんていう論だ。
違うんだけど、と私は思った。聞くというのは、人に聞くことであり、伝聞なのだ。そして、見るというのは、自分がその目で見ること。(ア)、あの謎は伝聞よりも実体験のほうがよく分かる、ということを言っているのである。テレビで戦争の様子を見るのは、むしろ(イ)のほうであり、その戦地へ実際に行ってみるのが、(イ)である。
しかし、テレビのない時代の諺には、テレビで見ることなどはあるはずがない。高校生たちはそこまでは考えられていなくて、ただ目か耳か、という話になってしまうのも無理はない。こうして、諺の意味もニュアンス(细微差异)が変わってしまうのだ。
【小题1】文中に「言葉は生きているのだ」とあるが、なぜそう言うか。A.言葉は時代とともに変化するから |
B.言葉の古い言い方を残さないから |
C.言葉のもとの形をそのまま残したいから |
D.言葉の変化は日本語の乱れと思われるから |
A.高校生は新しい言葉を使っているから |
B.ラジオよりテレビのほうが真実が伝わるから |
C.高校生は「百聞は一見に知かず」の意味を理解していないから |
D.高校生は視覚情報と聴覚情報とどっちが確かか分からないから |
A.それでは | B.しかし | C.でも | D.つまり |
A.一見/百聞 | B.百聞/一見 | C.視覚情報/聴覚情報 | D.聴覚情報/視覚情報 |
A.高校生の論考は意外だが、理解できる。 |
B.高校生の論考はまったく理解できない。 |
C.高校生の論考は意外だから理解できない。 |
D.高校生の論考は自分の主張と同じだから、理解できる。 |
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